土手

みんな集合だよ~

ブランコが揺れた日

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公園でブランコに乗らなくなった。

それは、「真昼間、もしくは深夜にブランコに乗る中年男性は怖すぎるから」という理由だったらまだいいのだが、そんなこともない。気付けば、ブランコに乗っていない事実が残っているだけだ。

 

以前、四つ葉のクローバーを探さなくなったというのと全く同じ原理だ。

 

 

人は大人になるにつれ、息苦しさを覚える。仕事の責任、家族、ご近所付き合いなど、今までは感じていなかった類の辛さを味わうことになる。これらは、息苦しさと同時に幸せの象徴でもあるから、すべからく批判できるわけではないが、少なくとも子どもの頃には体験し得なかったものであり、大人しか味わうことのない一種の枷である。近頃、この枷を外そうと躍起になっているのがYouTuberやフリーランスといった、時間の制約を受けずに人生を謳歌する人々だ。毎日楽しそうに過ごしている彼らは、「ずっと自分が納得できない仕事してていいの!?」とか、「起業して自分の力だけで舵を切った方が人生楽しめるよ!」などと宣うが、「うるせぇ」と思う。人々が本当に自分の好きなことだけしていて社会が回るとは到底思えない。誰が好き好んでインフラを整備する?他の人の家の電気を整備するのが生きがいの人がいるか?インターネット開通の対応をクレームを受けながらも真摯に対応してくれるオペレーターが本当に存在するか?

 

 

「絵空事ばかり言うなよ」と思う。

そりゃあ、自分の好きなことだけして生計を立てられる身からすれば、私たちのように、やっていて楽しくもない仕事をしている人を見れば「HeyHey!好きを仕事にしようぜ!メ〜ン!」と言いたくなるかもしれないが、みんな妥協し合って生きてるんだよ。その妥協が社会を作り、「好きを仕事に」している人を支えているってところを忘れてはいけないと思う。なんか頭ごなしに「起業起業起業!」「フリーランス!フリーランス!フリーランス!」とはしゃいでるところを見ると、めちゃくちゃ内輪で盛り上がってるように見えてしょうがない。暗に、会社に属して仕事をやらされてる人々を非難しているかのように思える。試しに一度、彼らからインターネットを取り上げてみたらいい。そこから先でも、「好きを仕事に」出来ていたら天晴れだ。屈服するしかない。

 

 

 

閉塞感のある世界だ。

どこに行っても何をしていても、必ず自分じゃない誰かがいる。誰かがいるということは関係が生まれる。関係があると、それは一人だけの世界ではなくなる。これはもう嘆いたところで変えようがない。「一人になりたい」と言ったって、本当に一人になることなんて到底不可能となった。地方と、世界と、宇宙と、様々な場所と繋がれるようになった一方で閉塞感が増してくる。あまりにも大きな光は影を大きくする。そうしてできた影の中で一生懸命生きて、戦っている人々がいることを忘れてはいけない。

 

 

ブランコに乗らなくなった。

黄昏時が早まってきた冬。子供に乗られ終わったあと「キィキィ」と音を立てながら揺れるブランコから伸びる影を見ながら、そんなことを思った。