土手

みんな集合だよ~

松屋の豚汁の重要性とチーズポテト牛めしとかいう意味分からん美味いメニュー

先日、いつもの様に松屋に行き飯を食べようと考えた時のこと。その日はこれから散髪するという高揚感に導かれ、いつもは頼まないが、みそ汁を豚汁に変えてもらった。

 

 

そして、実際に出てきた豚汁を見て思ったのだが、この豚汁の器、めちゃくちゃデカくないか?

 

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牛めしの器と豚汁の器の、円の直径はほぼ一緒だった。(左にある牛めしはチーズポテト牛めしという、チーズとポテトと牛肉とを甘辛いタレで絡めている代物であり、自分が何を食べているのか、食べさせられているのかさっぱり分からないがやたらと美味く、通常の牛めしの1.5倍腹が膨らむ飯だ。最近、もっぱらこれを頼んでいる。結局、味をどのように表現したらいいのか未だにわからない。何が何だか分からないが、やたらと美味いとしか言えない。)

 

 

 豚汁と味噌汁、その差は歴然であった。

確かに味噌汁はメニューと一緒に付いてくるから実質0円。しかし、内容がぜんぜん違う。味噌汁にはわかめと油揚げしか入っていないが、豚汁にはパッと見ただけでも、豆腐、人参、ネギ、豚肉、お芋が入っている。

(松屋のホームページでも調べてみたが、大体そんな感じだった)

 

https://www.matsuyafoods.co.jp/menu/sidemenu/sidemenu_tonjiru.html

https://www.matsuyafoods.co.jp/menu/sidemenu/sidemenu_misoshiru.html

 

 

一汁三菜が基本と言われる中、汁が一つ付いてくる松屋は元々大きな存在。

その存在を更に高める味噌汁→豚汁へのコンバートの衝撃は計り知れない。

今まで、あまり汁に凝ってきていなかったが、松屋で頼んだ豚汁の満足度の高さにド肝を抜かれ、最近は汁物をきちんと用意するようにしている。

 

 

ド肝を抜かれたといえば、松屋のチーズポテト牛めしだが、本当になんなんだこのメニューは?私が初めて食べたのはいつだっただろうか。あの日も、髪の毛を切る前だったかも知れない。今では、髪の毛を切る前のルーティーンとして、松屋に行き、チーズポテト牛めしを食べている。それだけこの牛めしに取り憑かれてしまっている。しかし、具体的にチーズポテト牛めしのここが素晴らしいとか、ここが優れているんだということが言えない。もちろん、探せば当然見つかるとは思うのだが、あまりする気になら無い。私は、チーズポテト牛めしを論理的に理解したくないのだ。構造を理解しているとそこには納得が生まれる。納得は食においてあまり良くない要素だ。なぜなら、味を自分で想像出来てしまうし、実際にその味がした際に「ほらね」という風に、わかった気になってしまう。それは良くない。私はチーズポテト牛めしにはいつまでも未知数な存在でいてほしいと願う。故に、自分から旨さの秘密を求めに行くことはないのだ。

 

 

そもそも豚汁が美味いというのもある。

味噌汁は毎日食べていたい「安心する味」。対して豚汁は「おかずとしても成立する汁物」。それ単体で食べて美味しいは、やはり強い。できることなら食べておきたい。

また、豚汁には様々な食材が入っているため栄養バランスが良い。松屋は得てして「炭水化物!肉!」のイメージが強く、野菜を食べない自分への罪悪感を強く感じるものだ。

その免罪符としても豚汁は通るため、積極的に注文していきたいところだ。

 

 

 栄養バランスが良くないと言われると、どうしてもチーズポテト牛めしを思い浮かべてしまう。パッと見てみると、「肉、ごはん、チーズ、イモ」なので、わんぱく小学生欲張りセットという感じも否めないが、そんなものを吹き飛ばす魔力がそこにはある。チーズポテト牛めしを食べた直後、通常よりも満腹になったお腹をさすりながら「しばらくはいいかな。。。」と思った翌日、もう食べたくなってきている。

 

私はもうダメだ。完全に狂ってしまった。もう離れられない。あなたが、好き。大好き。どこにも行かないで。私を抱きしめて、ツヨク、ツヨク・・・そして、その日、二人は確かな愛を育んだのだ。

 

 

後日、私はチーズポテト牛めしの原案が生まれた企画会議に参加した人、その商品を売り出すと決めた経営陣に会いに行く。彼らと固い握手を交わし、こう伝えるのだ。

 

生まれてきてくれて、ありがとう

 

と。