土手

みんな集合だよ~

四つ葉のクローバーを探しているか

 

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最近、四つ葉のクローバーを探さなくなってしまった。

 

こう書くと、「じゃあ、前はそこそこの頻度で探していたのか?」と言われそうだが、以前も別段探してはいなかった。

 

 

ただ、「最近、四つ葉のクローバーを探していない」と思ったのだ。感覚的に。

 

 

「四つ葉のクローバーを見つけると幸せが訪れる」

 

 

子どもの頃、誰に教わったのかも忘れたけれど、それを信じて公園に四つ葉のクローバーを見つけに行った。地面に目を近づけて4枚の葉を必死に探す。手が緑色に染まった頃、やっとの思いで見つけた四つ葉のクローバーはとても嬉しく、すぐに家に帰ってお母さんに見せた。

お母さんはクローバーを一瞥し、「良かったね!」と言ってくれた。それを聞いて私は笑顔になり、プラスチックのケースに水を溜めて取ってきたクローバーを活けた。

 

今思い返すと、この時点で四つ葉のクローバーは幸せをくれていた。

 

四つ葉のクローバーがもたらす幸せは、「宝くじで1億当たった!」とか、「昇進できた!」とか、そういう幸せではない気がしている。

 

幸せ度を数値化することは出来ないけれど、多分、四つ葉のクローバーの幸せ度はそんなに大きくないだろう。

しかし、その幸せのベクトルは人の心を温かくさせる方向に向いている。

お金を沢山持っているけれど幸せじゃない人なんて沢山いる。逆に、お金を持っていないけど幸せだと言う人もいる。

幸せの価値観が人それぞれである中、四つ葉のクローバーがくれる人の心を暖かくしてくれる幸せはかけがえのないものだ。

 

 

私は最近、四つ葉のクローバーを探しただろうか。見つけただろうか。

 

 

地面に目を近づけ、雑草が覆い茂る中ひとつのものを探す。たったこれだけのことなのに、大人になると、四つ葉のクローバーを探すことが出来なくなる。周りの目が気になったり、着ている服を汚したくないと考えたり、そもそも四つ葉のクローバーなんて興味がなくなったり。

 

 

ここ最近で「四つ葉のクローバーを探さなくなった」という考えが浮かぶようになったのは、黄色信号だと思う。ささいな幸せを無意識に探していたということは、裏を返せば現状は悲しみに支配されているということかもしれない。

だからこそ、意識してなくても「冷たくなった心を暖めないとダメよ!」と身体の防衛本能が働いたのだろう。

 

 

みなさんは最近、四つ葉のクローバーを探していますか?

ふと、公園を見かけたら足を止めて、四つ葉のクローバーを探してみるのもいいかもしれません。