うんこ味のカレーとカレー味のウンコどっちを食べるか論争
───うんこ味のカレーとカレー味のウンコどっちを食べるか論争に捧ぐ
(これからうんこの話をするので、定期的に綺麗な写真を挟んでいきます)
スカトロジーと言われるものがある。
いわゆるスカトロのことなのだが、スカトロジーは糞尿学と訳され、尿や糞に関する考証を行う学問のひとつだ。
私はスカトロについてあまり興味を示していないが、
お昼にカレーを食べたこともあり、スカトロについて少し考える機会があった。
一度は友人と「カレー味のうんことうんこ味のカレー、どっちを食べるか」という話をしたことがあるだろう。
スカトロの趣味を持たない人は「どっちも嫌だよ!」、または「うんこ味のカレーでしょ。だって、カレー味のうんこはうんこじゃないか!」という2つの結論に落ち着くと思う。
スカトロが好きな人は、多分だけど「だれの?」というところを気にすると思う。
だって、誰のでもよければその辺に落ちているブツだって「ひょいっパクッ」とやれてしまうではないか。そんな人は見たことないし、聞いたこともない。
ここで、愛を試す試練として「愛する人のウンコを食えるか」というものがあるとしよう。
私は正直自信がない。
「愛=その人のうんこを食べれること」とするのならば、私の愛はまだ及んでいない。
そんな状況になってみないとわからないけど、「あっ、イイッすよ~~」とはできないと思う。ある程度の逡巡があった後、意を決することはあるかもしれないけど。
ただ、可能性はある。
人間は嗅覚による興奮を覚えることができるので、その線を辿るというのはどうか。
美味しいものの匂いがしてくるとお腹が減ってくるように、うんこの匂いを感じたら空腹になれればいい。
なれればいいと簡単に言ったが、まぁ、そう簡単なものではない。
それは今まで我々が考えていたうんこという概念を変えなければならない。
私はうさぎではないので、今までの人生で「ウンコは食べましょう!」という教育を受けてきたことはない。
これまで「臭い 汚い」とされていたものを、今後は「エロい 美味しい」と認識しなければいけなくなる。
(いや、もしかしたら「臭い 汚い」というのが一層良いものなのかもしれないが。。)
今、想像してみたが、妄想だったらいけそうだ。
しかし、想像は自由であり、理想だ。
今私の中のうんこは、マスクメロンのような芳醇な香りと共に生クリームで仕上げられたスイーツのようなものとして登場している。
これをうんこと知らせずに出せば、ヒルナンデスで紹介される類のものをうんことして登場させてしまっている。
そのため、目の前でブツを見たら、私の中の空想のうんことの差異に、面を食らう可能性が高い。
「騙された!」と言うかもしれない。
なににだ。
ナニはともかく、世の中には2種類の人間がいるということだ。
もちろん、うんこを食べられる人と、食べられない人だ。
ヤンキー漫画ではよく、相手のプライドを折るためにオシッコを顔にかけるタイプのヤンキーが登場する。
ここでは、尿は下等なものとして扱われ、その下等なものに抗う術なくオシッコをかけられてしまう敗者の姿が描かれる。そこには、勝者と敗者の構図がある。
(あまり糞をくれてやるタイプのヤンキーは見たことがない)
ただ、糞尿学といわれくらいだから、基本的な属性はウンコもオシッコも変わらないはずだ。つまり、ウンコもオシッコも同様に下等なものとして描かれ、相手の尊厳を踏み躙る材料として用いることは可能だ。
ただ、そいつがスカトロを好きな人だったらどうなのか。
これはすごいことになる。
こちらとしては鞭をあげているつもりなのに、相手にとっては飴である。
同じ糞をあげているのに、人によっては鞭とも取れるし、飴とも取れるのだ。
そのため、スカトロ好きというのはある種、自己防衛にも繋がるんじゃないかと思った。
以上のことを総括し、私は「カレー味のうんことうんこ味のカレー、どっちを食べるか」という質問に対して、「ねぎとろ丼が食べたい」と答えるようにしていきたいと思う。
う~~ん、これは結論がぶれたから学会での発表はなしだな。
それにしても、三連休に私はなにを書いているんだろう。死にたいな。