土手

みんな集合だよ~

エゴサーチできる人の精神力はすごい

 

 

────エゴサーチが苦手なすべての人に捧ぐ

 

 

 

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「エゴサーチが趣味」と言っている人の精神力を見習いたい。これは皮肉で言っているのではなく、相当なタフネスがないとエゴサーチなんてものはできやしないからだ。

 

今の時代、知名度は芸能人だけの特権ではなくなり、ツイッター、YouTube、Facebook、Instagramなどで多くのフォロワーを抱えられるようになった。もはや、芸能人よりも人気の高いネットタレント(とでも言えばいいのか)がたくさん生まれてきた。

 

そんな私もツイッターのサブアカウントでは1200人のフォロワーを有しており、私のくだらないつぶやきを見知らぬ1200人に見られていると思うと、嬉しいやら恥ずかしいやら、こんな私の肛門を見たところで何も得れるものは無いが、とにもかくにもありがとうといった心持ちだ。1200人というのはすごい数字で、それだけの人数を現実で集めることの困難さは容易に予想できることだろう。

 

それだけの人数がいれば、私の発言に対する反応を示してくれる人もいる。その反応は好意、反対意見、助言など、様々だ。エゴサーチは、これら玉石混交の意見を全て飲み込む行為だ。

 

 

 

私にはそれがなかなか出来ない。。

 

 

 

小さな頃から「褒めて伸ばされたい」が座右の銘だった。私の場合、褒めて天狗になるパターンはなく、その褒められた嬉しさからもっとやる気を出すのだ。

しかし、現実世界には怒髪天、カミナリ直下型の激情人間も多く、上下関係の厳しい部活や先生の元で育ってきた私は度々叱られたものだった。そんな経験から、もうマイナスの意見を聞きたくないと思うようになり、自分に対する評価、評判を極力耳に入れないようにしている。

 

 

もちろん、自分が発言したことの反応は気になる。好評だったらお前にI Love youだし、批判であっても、それが人格攻撃などではない正当な批判であるならば甘んじて受け入れる心づもりでいる。

 

 

でも、それでも出来ない。

 

 

毎日のようにエゴサーチをしていると豪語している人は、本当に強いと思う。私のように弱い人間は、自分の殻の中にとじこもり、世間の声を聞くことも出来ずに「自分のやってることはもう終わったことだから、それがほかの人にとってどうであったかは関係ない」などと宣い、自分に対する評価を受け止める勇気を持てていない。ただ、私は別にこれでもいいと思ったりもする。そのtiny pride(ちっぽけなプライド)を守ることで、自分から発せられるものももちろんあるからだ。精神力が強く、世間の声を受けてさらなる需要を計算して提供できる人はすごい。逆に、精神力が弱いゆえに誰の意見も聞かずにただただ自分の深みに潜り、自分の思ったことだけを言う人。それぞれがそれぞれの長所短所を持っている。そこに優劣は無く、「そういう人間」という確固たるものがあるだけ。

 

 

私は今後もエゴサーチは上手くできないと思う。単純に嫌な声を聞きたくないから。相手の負の感情に向き合う勇気を持てないから。

 

 

しかし、いつか全てを飲み込んで、くるんっと丸まったちょび髭をピンッピンッと伸ばしながら、「ホッホッホッ、若いねぇ…」などと言ってみたいものである。