土手

みんな集合だよ~

サンタクロースの思い出

 

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師走だ。師僧も走り回らなければならないほど忙しいことで有名な師走である。ただ、読経を行う僧が走り回るということは、その前段階である病院関係者は激走をしているに違いない。事実、病院関係者はこの時期めちゃくちゃ忙しいらしい。私はその事を怪しげなマッチングアプリから実体験として学び取っている。今後、「師走」から「医療従事者走」になる日も近いかもしれない。

 

 

そして、師走のこの時期になったということは、やはり私としてはサンタクロースの話をせねばなるまい。サンタクロースの話をしよう。

 

 

最初に言っておくが、私はサンタを信じていない。というのも、そもそも子どもの頃からサンタを信じている期間がなかったため、サンタを信じる信じないの次元ではないのだ。物心が付き始めて覚えているのは幼稚園の頃だが、その時からクリスマスプレゼントを父に普通に買ってもらっていた。一緒にゲーム屋さんに行って、ゲームソフトを選んでいたのをおぼろげな記憶ながら覚えている。あとはケーキを家で食べてクリスマスは終了。まぁ、あまり夢はない話だ。

 

 

そのような経緯があり、私はサンタの教育を受けてこなかった人間だ。なので、小学校に上がってから友だちに「サンタってお父さんなんだよ!」ってバラされてショックを受けることもなかった(そもそも、サンタという存在がよく分からなかった)。

 

別に私としては、サンタを信じる信じないのはどっちでも良かったのだが、父と母としてはなんとなく「やっちまった…感」があったようだ。やはり、サンタクロースというのは子どもの“夢”であるので、その夢の種を与えることもしなければ、むしろ自らの手で摘み取ったことを後悔しているように見えた。父と母は兄と私の失敗を活かし、我が弟には徹底的にサンタを信じ込ませようとしていた。

 

 

兄と私には「サンタのネタバレ禁止」と箝口令(かんこうれい)が敷かれ、他にもサンタの存在を匂わせる外的要因の排除にかかっていた。弟にはサンタ宛の手紙を書かせ、そこから弟の欲しいものをリサーチ。準備にかかる。そして、12月25日にはきちんと枕元に置いておく手筈だ。私の目から見てもなかなか見事なサンタっぷりだった。我が両親ながら、アッパレである。(なぜ、私の時にやってくれなかったのか?)

 

 

しかし、ここで父の遊び心が働いてしまう。

父は、こういう時に「チョける」クセがあるのだ。父は基本的には真面目な男である。わが家は基本的には母よりも父の方が立場が強く、亭主関白という程でもないが、実権は父が握っている。そんな父がクリスマスに出してしまった茶目っ気。

それは、これだ。

 

 

 

 

 

 

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サンタクロースではなく、ヨンタクロースが来たことにしていた。

 

 

 

当時は「寒っ!!」と思っていたが、今改めて振り返ると最高のクソ親父だと思う。

手紙の中には「サンタクロースはみんなのところにプレゼントを配るので忙しかったから、ヨンタクロースが代わりに届けに来たよ。メリークリスマス!」という内容が書かれていた。

 

 

おい、オヤジ。なかなか“粋”じゃねーか。

このサプライズには私もビックリした。まさか実のオヤジのギャグセンスがここまでクソジジイだとは思っていなかったから。カルチャーショックはデカかった。しかし、上記したように“良い意味で”クソジジイなのであって、その点では親父のことを尊敬している。サムいことでも100%の力で振り切ってやる事の大切さをヨンタクロースが教えてくれた。ありがとう、ヨンタクロース。

 

 

 

我が家では、ある年にはヨンタクロースが来て、違う年にはサソタクロースがプレゼントを置いていってくれた。弟は幸せものだったと思う。学校で話す時には周りの友達から「???」と思われたかもしれないが、素敵な思い出ではないか。少しだけ羨ましくもある。

(ちなみに私はその頃、現金で5000円を貰っていた。思春期真っ盛りだった。)

 

 

クリスマスの時期になると、毎年この記憶を思い出す。

私も将来、家庭を持って子どもが生まれたら、きっと扮することになるだろう。

 

“サンタフロース”や、“Eンタクロース”に。