土手

みんな集合だよ~

文章のライブ感

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M-1グランプリ2018が終わってからというもの、毎日夜中の3時までネタを繰り返し見直して感想をしたためていた結果、平日はほぼ毎日書いていた情熱が一度溶けて消えた。

 

「さて、もう一度文章を書き始めるか・・・」と思い立った時、1度は自分の中の情熱を枯らさせた記事を振り返ろうと思った。なるべく客観的に記事を見直してみたが、荒いなりにも想いを全部乗せてぶん殴ってる感じがして、悪い気はしない。こういう勢いのみで書いた記事というのは、その時の熱が文章から伝わってくる気がして嫌いではない。単語は間違っているし、文脈もあっちへいったりこっちへ飛んだりしてグチョグチョではあるものの、“文章のライブ感”を自分は味わえている。ただ、これを他の人が味わうのは難しいかもしれない。お笑い、音楽、演劇、スポーツなどのライブ感は伝わりやすい。それは、その人自身が実際に経験したものであったり、他者が如実に側にいることによって、演じる人の熱を想像しやすいからだ。しかし、文章はそうとは行かない。書き手の姿も見えないし、文章を読むスピードも個人に委ねられるため、こちらが想定する温度感で情報を流し込めているのかが分からない。そもそも、文章に関していうと個々人で受け取り方が異なる時点で、同じ受け取り方をできる人は存在しない。

 

例えば、「お湯」

 

「お湯」という単語を見て、何℃を想像しただろうか。41℃?80℃?それとも、温度の想像はせず、単なる「お湯」そのものを思い浮かべた人もいるかもしれない。一つの単語だけでもいくつもの受け取り方、情景の浮かべ方が存在することがわかっている以上、文章のライブ感を感じることができるのは書いている本人だけなのかもしれない。他の人に熱が伝わらないのが切ない一方で、自分だけが自分を楽しめるというのも乙なものだ。

 

 

ブログはそういう熱を感じることが多いから好きだ。特に素人童貞の風俗体験記なんか、あんなに臨場感溢れる文章は他にない。風俗に行く前日譚、当日行くまでの道中、プレイの最中の高揚、終わったあとの達観、全ての文章が生きている。

 

もちろん、文章は読みやすいのが一番だと考えているので今後も推敲はしていくが、時には風俗レポのような熱い記事を書けたら良いなと思う。

 

 

今後ともよろしくお願いします。