土手

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ハロウィンでセンスのなさがバレるのが怖いのと、ハロウィンの抑止策について

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ハロウィンである。

 

渋谷のハロウィンは相当酷かったらしく、酔って暴れたり、トラックをなぎ倒してみんなでキャッキャ言いながら喜んでいたようだ。

その光景はニュースにも流され、日本におけるハロウィンというものの存在意義が問われている。

 

 

私はというと、ハロウィンイベントに参加したことは一度もない。

これは、渋谷の集団心理による暴徒が怖いとか、コスプレが嫌だとかそういう理由ではない。

 

私はなんのコスプレをすれば良いのか分からないのだ。

 

最近の日本におけるハロウィンの定義は、の子どもがお化けの仮装をして家々を回り、「Trick or Treat(お菓子をくれなきゃイタズラするぞ〜!)」とやる本国のものからかけ離れ、大人がコスプレをして渋谷に出掛けて騒ぎまくる謎のイベントになってきた。

 

私はコスプレほどセンスの出るものはないと思う。コスプレは自己表現の中でもかなり上位にあると思っていて、何のコスプレを選択するか、そのコスプレを表現するのに何の要素が必要か、その要素を実際に実現できるかなど、考えることはめちゃくちゃ多い。

いわば、自分のことを自分ではない誰かに見せるのだから、人をプロデュースする力が必要不可欠だ。

 

そう考えると、私は何も動けなくなってしまう。何から何までセンスを問われているのだ、怖くてしょうがない。

 

いま話題の沢田研二はどうか?、いや、コスプレに来る若い奴らは雰囲気しか分からないしそもそも自分もよく知らない。

普通にジャックオーランタンの仮装はどうか。そんなに立派なものは用意できない。

ウォーリーは?ゾンビは?あれは?これは?・・・

 

 

とまぁ、このように頭の中で「コスプレ」がぐるぐるぐるぐると駆け回っており、もはや何も手につけられない。

私が出した結論は、「何をやってもセンスが褒められることは無い」ということ。

 

結局、ハロウィンに対して周りを意識したコスプレを考えている時点で私は負けており、その考えに至った私の思考を変えることなど今後もできなさそうだからもう敗北確定なのだ。

真の強者は何も考えずに自分が楽しいと思ったことを実行してるし、それで成功したりする。あれやこれやと思考を張り巡らせて、結局、10月31日に何も行動せず、家に帰ってSteamのハロウィンセールをニヤニヤしながら見ている私のような人間はもう、ハロウィンには圧倒的に向いていない。悲しいことに。別に悲しくはないか。だから、今後もハロウィンに参加することは無さそうである。

 

 

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個人的にはハロウィンではしゃぐよりも、日本らしく2月になまはげではしゃぐと良いと思う。

「悪い子はいねーが!悪い子はいねーが!」とか言ってるけど、いま騒ぎ立てているお前が悪い子だろ、となり、お互いがお互いを殴り合うなまはげバトルロワイヤルの開幕だ。だんだんと悪い子の数が減っていき、最後に残ったなまはげが優勝、キングオブなまはげとなる。しかし、騒ぎ立てている自分自身が悪い子であることに気が付いたキングオブなまはげは自害する。キングオブなまはげは優勝したと同時にその命を絶つのだ。なんとなく、ロマンチックではないだろうか。これを毎年の風物詩にするというのはどうか。

 

 

なんなら、ハロウィンになまはげが出ていって悪い子を全員ぶっ倒して来るというのも良い。

渋谷の人々はほぼ全員なまはげに殺られるだろう。そして、最終的になまはげも死ぬ。なんて便利なやつなんだ、なまはげ。あと始末まで完璧じゃないか。

もし、私が渋谷区長ならハロウィンの抑止策としてなまはげを導入する。

 

やい、渋谷区長。案を出してやったんだからお金をよこせ!