土手

みんな集合だよ~

行きつけのスーパーを作れ

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「行きつけのスーパーを作れ」とこれまでも口を酸っぱくして言ってきたが、さっさと行きつけのスーパーを作れと改めて言わせていただく。

 

 

近頃、ふくらはぎを揉みなさいだの、頭にきてもアホとは戦うなだの、長財布は持つなだのと、やたら命令口調のベストセラーが出ている印象がある。

だが、今のところ、行きつけスーパーを作りなさいと言っているのは私だけのはずだ。

 

 

行きつけのスーパーを作るメリットを教えておこう。

 

 

①なんか安心する

いつもと同じ空調、季節ごとの品揃え、メロン、最近導入されたセルフレジ、よく見かける買い物客、メロン、カートに座っている子ども、半額になった惣菜、メロン

 

これらのようなものを見て、一息ついて欲しい。

いつもの変わらないものがそこにあってくれる感じ。

 

これは、実家のイメージに近い。

家を出て1人で生計を立てている人々は、本当によくやっている。かくいう私も一人暮らし歴は長く、かれこれ7年になったか。中堅クラスに入ってきたと自負している。

 

 

しかし、毎日頑張ってる私たちでも、時には全てが面倒くさくなって投げ出したい夜があることだろう。

会社で上司に怒られた、恋人にフラれた、お金が無い、そういう時には行きつけのスーパーに行け。

行きつけのスーパーは何も変わらない。

いつもと同じ場所でお前の帰りを待っている。

 

そして、いつもと同じルートで店内を回れ。

 

野菜コーナーから鮮魚コーナに移りつつ、納豆のラインナップの多さに驚け。肉のコーナーへとスライドしながら、やっぱ牛肉高ぇ〜と心の中で笑え。惣菜が30%引きくらいになっているのを見て半額まで待つかと思ったら横から伸びてきたオバチャンの手によって目の前で奪われろ。

 

全部をぜんぶ、お前の日常に変えろ。

そう、スーパーは実家なのだから、おかずを奪われたところで怒る必要などない。食べ盛りの弟に譲ってやって欲しい。納豆のラインナップはお母さんがたまに買ってくる謎のチョイス。牛肉だってそんなに食べていなかっただろう?

 

 

例えば、旅行先から帰ってきた時に、「帰ってきた!」と感じる瞬間といえばいつになるだろうか。個人的には自宅に着いた瞬間に「帰ってきた!」とはならない。実家にたどり着けて、ひと安心するだけ。

 

真に感じるのはスーパーに来て、買い物をしているときだ。つまり、買い物は生活のスタートであり、日常生活の再来だ。この段階において初めて「帰ってきたなぁ(日常に)」と感じるものである。

 

しかし、これがコンビニだったらどうだ。

どこへ行っても変わらないものがあるのがコンビニの良さではあるが、そこに盛られているのは表層的だ。仮面家族である。代替可能なものしかないではないか。そういう意味で、コンビニはなんとなく機械的な印象を受ける。

 

 

その点、スーパーは生きているように見える。

置いてあるものはそんなに大差が無くなってきたかもしれないが、やはり、スーパーとコンビニでは何かが違う。コンビニで買ったバナナとスーパーで買ったバナナ。何かが違うと感じないだろうか。さらに言うと、八百屋さんで買ったバナナは「バナナ!!」と自己主張しているの対し、コンビニのバナナは、「あっ、ウッス…バナナデスケド…」と元気がない。少なくとも私にはそう見えているのだが、みなさんはどうだろうか。

 

 

やはり、家族には元気でいて欲しいものだ。

行きつけのスーパーがあれば、家族から元気がもらえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

②お得

沢山行くと、安い品物がだんだんわかるから便利

 

 

 

 

 

 

 

 

③たまに美人のママさんが働いてたりする

眼福眼福~♪

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがだっただろうか。

私がなぜ、行きつけのスーパー、行きつけのスーパーと言っているのかの片鱗が掴めたのではないだろうか。

 

 

今後は仕事帰りにコンビニに行くことをやめて、スーパーに寄ってみることをオススメする。

 

私からは以上だ。

 

 

(①を書き終えた段階で床屋に行って髪を切ってもらったため、ほかの理由を書くことがダルくなってしまったことを御容赦ください。)